Saturday, April 28, 2012

80年代のナムコ・セガ・タイトー三社のイメージをお聞きします。

80年代のナムコ・セガ・タイトー三社のイメージをお聞きします。

80年代のアーケード業界はこの三社が大きなシェアを得ていたと聞きましたが、皆様はこれらの会社が当時(80年代)に出してたアーケードゲームの作風についてどう思っていましたか?







80年代の前半はナムコが他社の追随を許さない印象がありました。

'78年のインベーダーブーム、その直前のブロック崩しの時代には

どこもかしこも「名前は違えど中身は同じ」ゲームを出していたものです。

あの任天堂でさえ、インベーダーもどきを出していたほどです。

(一応はタイプの違う3通りのゲームが選べはしました)

しかし、ナムコは単なるブロック崩しではなくピンボールの要素を組み込んだ

「ボムビー」「ジービー」「キューティQ」など独自性を持たせていました。

インベーダーもどきではなく美しい曲線を描いて攻撃してくる「ギャラクシアン」等

周りに流されない信念を持ち「パックマン」「ギャラガ」「ゼビウス」

「ポールポジション」「パックランド」「ドルアーガの塔」「ドラゴンバスター」など

ヒット作を連発し「ナムコ黄金期」とまで呼ばれました。

ただ、80年代半ばから後半にかけてのリメイクブーム(後述)の頃には

すぐには時流に乗らなかったものの、最後の最後に安易に乗っかり

イマイチなゲームを出したのは残念でした。

80年代末には「アサルト」「ベラボーマン」「ワルキューレの伝説」などの話題作や、

「ウイニングラン」で新機軸・ポリゴンを使い、後の「リッジレーサー」へとつなげていくことになりました。



セガは80年代半ばからプレイヤーの移動に合わせてシートが大きく動く

「体感ゲーム」の一連のシリーズが大きな話題となり、人を呼び寄せた印象です。

中でも「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナーII」などは大人気で

順番待ちやギャラリーがすごかったのを思い出します。

ダイナミックな動きでゲームの臨場感を味わえる大がかりな筐体は独特で

セガの意気込みが感じられました。

大型筐体ゲームといえばセガ、というまでになりましたが「スーパーモナコGP」と

同時期に出たナムコの「ウイニングラン」が両社の技術力競争を演じることになりました。



タイトーは「スペースインベーダー」以降ヒット作があまり出ませんでしたが

80年代後半に入り「バブルボブル」「ダライアス」で大ヒット。

特に「ダライアス」はシューティングなのに3画面の大型筐体を使い、

音が体に振動で伝わるボディソニック、魚介類をモチーフにした巨大戦艦、

聞き惚れるようなBGMなど単なるシューティングの一言では片付けられませんでした。

また、「アルカノイド」「ヴォルフィード」「プランプポップ」「レイメイズ」など

古いゲームを現代風にアレンジして蘇らせる「リメイクブーム」も起こしました。

「フェアリーランドストーリー」「バブルボブル」「レインボーアイランド」などの

アクションゲームには各面に1つアイテムが出るようになっていましたが

それぞれ出現内容が異なり、プレイ内容によって判別されていました。

これらによってクリアの手助けになるかも?と期待させる手法が良かったです。



こうした古参メーカーに混じり、80年代半ばから現れた新星がカプコンでした。

「バルガス」「ソンソン」「1942」「戦場の狼」など息をつく暇も与えないような忙しいけれども

面白い、というテイストのゲームを立て続けに出しました。

「魔界村」「1943」などを経て80年代末には新基板「CPシステム」により

ゲームの幅が大幅に広がりヒット作を続々出していくことになります。



他にも「グラディウス」シリーズのコナミや「ロードランナー」「R-タイプ」のアイレムなどいろんなメーカーが盛り上げた80年代は忘れられない時代でした。

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